るろうに剣心の映画の蒼紫はいらない?!そう思われる三つの理由を解説!

るろうに剣心の映画の蒼紫がいらないかどうか、この記事で解説します。

るろうに剣心の映画の蒼紫は、結構役柄が原作と異なっております。

そのため、あなた含めて蒼紫や原作のファンの方々が納得しないこともあると思うのです。

そこで、映画と原作とで蒼紫の役柄や展開がどう違うかを含め、蒼紫がいらないと思われる三つの理由をこの記事でお伝えしますので、是非参考になさって下さい。

ネタバレ注意でお願いします。

るろうに剣心の映画の蒼紫はいらない?

結論から述べると、私の主観ではるろうに剣心の蒼紫はいらないと思っております。

その理由を一言で集約すると、映画の蒼紫はあまりにも扱いが悪いからです。

伊勢谷さん演じる蒼紫はビジュアルはかっこいいんですけどね…(笑)。

 

その扱いが悪いと思われる理由を、以下に大きく三つ紹介したいと思います。

るろうに剣心の映画の蒼紫がいらない理由1

るろうに剣心の映画の蒼紫がいらない理由その1として、まず映画の出番が原作に比べて少なくなりすぎていることです。

何より一番問題だと思うのが、武田観柳との戦いを描いた東京編を扱った映画の一作目、「るろうに剣心」(無印)の中で蒼紫や御庭番衆が出てこないこと!

その代わりに観柳の手下として、外印や番神が出てきていたのです。

「何で原作で雪代縁の部下だったこいつらが出てくるの?」

と思ったのは私だけではないはずです(笑)

ついでに鵜藤刃衛がラスボス的な存在として描かれていたのも蒼紫の影が薄くなった原因の一つ。

この武田観柳との一件は、原作で蒼紫や御庭番衆の顔見せとして非常に重要なシーンですので、それが一切省かれていたのは非常に残念です。

さらに、外印が観柳邸で先にやられたのは別の問題があり、外印は原作の人誅編で蒼紫が倒してくれた相手でもあります。

つまり、「るろうに剣心 The Final」での蒼紫の出番が無くなったという事でもあるのです。

ちなみに、この最終作の映画での蒼紫の出番はほとんど無く、代わりに操が戦っている始末。

もうこれは蒼紫はスタッフから何か圧力を受けているのかも知れませんね…。

と思わざるを得ない状況でした(汗)。

るろうに剣心の映画の蒼紫がいらない理由2

るろうに剣心の映画の蒼紫がいらない理由その2として、御庭番衆が居ないことで本編との絡みが少なくなり、その存在理由が希薄で他のキャラの尺も奪っているだからです。

言い方を変えると、蒼紫が居なくても映画は成立すると言うことです。

御庭番衆が居ないため、京都編で蒼紫が出てこなくても問題ありません。

たしかに強敵の一つとして、原作でも大人気の京都編を扱った映画で、蒼紫が出てくると盛り上がりますよね?

でも、京都編は志々雄の部下で強敵の十本刀という存在がおりますから、剣心と彼らとの戦いを充分に描くだけでも盛り上がると思います。

しかし映画では尺の都合で彼らの出番は一部を除いて、チャンバラのシーンも少なくカットされている始末です。

張、宗次郎、安慈以外の十本刀の扱いはひどい者で、ほとんどすぐにやられて退場でした…。

それも、蒼紫がわざわざ出てきたせいで時間が奪われたのも一因だと思いますね。

ちなみに、この十本刀の扱いの悪さについての不満も結構ありました。

いっそのこと蒼紫がいらない前提でお話しすると、蒼紫が居なければ彼らすぐ退場する十本刀のキャラ性も描くことも出来たのです。

だから、絡みが少ないし存在理由が薄いという意味の他、他のキャラを奪ったという意味でも蒼紫はいらないのです。

るろうに剣心の映画の蒼紫がいらない理由3

るろうに剣心の映画の蒼紫がいらない理由その3として、その1「出番の減少」やその2「絡みの減少」に伴う、蒼紫自身の性格やキャラの改変です。

そもそも御庭番衆のメンバーが蒼紫をかばう形で観柳のガトリング砲でやられてしまって、蒼紫がその罪の意識に苛まれたために、「最強の華」を仲間の墓前に添えるべく剣心を狙っていた…。

そして、このことで蒼紫の心に影を落とし、修羅になり、志々雄と手を組んでまで剣心と再戦し、本当の自分を手に入れるという流れがありました。

原作にはこのような背景があって、蒼紫は不器用ながらも仲間思いの一面が際立つ、基本的には熱いキャラだと思うのです。

でも、前述の通り、「るろうに剣心」(無印映画)で観柳邸で蒼紫や御庭番衆がいないので、そのような背景がなく、剣心を狙うという、変なターミネーター的な存在となっておりました。

よって映画の蒼紫は、京都編の最初に出てきて単に剣心を狙うだけのただの変質者に近いです。

実際に剣心の仲間の左之助に因縁を付け、剣心の居場所を訊いたところ、左之助が意に沿わない対応をしたので、彼をボコボコにしておりました。

もはやただ逆ギレしているヤバい奴でしたね…

さらに、一番ショックだったのは、自分を慕う操に対して蹴りを入れたこと。

原作の蒼紫はそうではありませんでした。

操のことは敵対する立場になり言葉で「消えろ」と言うことはあったも、内心では彼女を心配し、決して身体的にダメージを負わすことは無かったです。

しかし、映画の伝説の最期編では操のことを蹴っておりました。

これはもはや原作の蒼紫ではないキャラですね…。

以上のことから、最終的にはおとなしくなり、敵のままであることはありませんが、本当の自分を取り戻す際も原作より微妙です。

るろうに剣心映画の蒼紫はどうすればよかったのか?

以上、理由その1、2、3でいったように、るろうに剣心の映画の蒼紫はさんざんな扱いをされたので、いらないという結論を私は出したいと思います。

ではどうすればよかったのか?

蒼紫については、やはり原作通り出すなら出すで、御庭番衆のメンバーが命を落として彼が罪の意識に苛まれて、剣心と戦ってもとの心を取り戻す流れにすべきでしょう。

そのためには、キャラ付けの心理描写が必要ですけどね。それもなかったです。

だから、「扱いが悪い」というのを言い換えると、「中途半端に蒼紫を出した」のがダメでしたね。

ただ、映画の場合は尺が決まっているから、あまり出番が無いようなキャラを出さずに、蒼紫の心理描写を増やしたらもう少し変わったと思いますね。

るろうに剣心の映画の蒼紫はいらないのかの考察まとめ

最後に「るろうに剣心」の映画の蒼紫がいらないのかの考察をまとめたいと思います。

  • 基本的には以下の三つの理由で、映画の蒼紫はいらないと感じる。
  • 理由その1として、映画の出番が原作に比べて少なく、特に東京編を描いた「るろうに剣心」(無印)の映画で出ないのが致命的。
  • 理由その2として、御庭番衆が出ないことによりその存在理由が希薄で、他のキャラの出番も奪っている。
  • 理由その3として、原作の蒼紫からのキャラや性格の改変。原作の蒼紫の良さが結構消えている。
  • 蒼紫を出すなら、中途半端に出さずに、御庭番衆を出して心理描写を増やしたら良かった。

 

以上のように映画の蒼紫は出番が少なかったりと扱いが悪く、ちょっと残念なできになりました。

映画の蒼紫は少しひどい扱いになりましたが、これから出てくるであろう北海道編での蒼紫についても見守ってあげて下さい。

→北海道編の蒼紫の記事はこちら。

 

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